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セントラルパーク

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2007-07-09 ベリーベリーストロング

_ 土曜日、ここ一週間『ぐるりのこと』梨木香歩 を読んで頭をぐるぐる言葉が回っている。著者がセブンシスターズの断崖で考えたこと。

_ 他者の視点を、皮膚一枚下の自分の内で同時進行形で起きている世界として、客観的に捉えていく感覚を、意識的なわざとして自分のものにする。それは、観念的なものとしてではなく、プラクティカルなものとして。思考されるものとしてでなく体感されるものとして。冷静に日常の意識を持続させたままで。自分を保ったままで、自分の境界はしっかり保持したままで、違う次元の扉を開いてゆく。

(けれども、それは種全体で到達しなければならない境地で、種全体としてはじつはそれをのぞんでいないのではないかしら。だったら一人でこんなことを考えるなんて、虚しく馬鹿げたことなのかもしれない…)

_ 「隠れたい場所」では今の時代の生の感覚として下記のことが描かれている。世界を大きく二分するわかりやすい対立関係ではなく、直線的でスピード感強い動的な動きと、進歩ということがそもそも念頭にない(あるいは非常に意識的にそのことに懐疑的な)前近代的ともいえる静かでわかりにくい諸々で構成されたムーブメント。スピーディーなものとスローなもの。クリアーなものとダルなもの。有刺鉄線的なものと生垣的なもの。そういう、今まであまり表に出なかった、けれど本当はそもそもの最初から仕組まれていた、大じかけな対立が、なんだか最近、とてもよく見えてきたような気がする。

_ (『ぐるりのこと』梨木香歩)

_ 入り混じっていた混沌とした世界が次第にクリアー度が増し、そのクリアさが迫る選択に次ぐ選択をしていくことにより世界も国も人も今加速度的に曖昧な混沌さが失われてきている、境界をクリアーにしてゆく何かの力に加担してしまっているのではないかとも記している。今この世界に生きるものとしてその加速度を少しでも緩やかなものとしたいそういったスローな生がまた混沌を生み出していけば良い。そう例えば星を観るとかして。

_ 品川に着いて高輪口に出て原美術館に歩き出す。斉藤和義が伊坂幸太郎と競作したナンバーを口ずさんで、

_ ベリーベリーストロング いつか誰かが言ってた ベリーベリーストロング 強い絆の話だよ 

_ の部分で拳を少し握って踵を強く踏みしめるとなんだかとっても元気が出てくる。ワタリウム美術館以来の「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語—夢の楽園」展を満喫して、歩いてすぐのゲートシティ大崎でお昼を食べてからスターバックスで『スクールアタック・シンドローム』舞城王太郎 書き下ろしの「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」ああ、これも加速化された世界の物語だ。と、これも単行本を持っているけど買ってしまった『雨はコーラを飲まない』江國香織 をのんびりと読む進める。表紙の挿画の雨が可愛いの。日比谷へ向かいシャンテシネで『あるスキャンダルの覚え書き』を観る。東京駅から中央線で三鷹へ。三鷹市芸術文化センター&ポツドール PRESENTS「人間♥失格」を観る。リアルでむず痒痛い駄目人間っぷりの描写に悶えながら観るも余りの大人しさに少々拍子抜けの感もあって観ていたが、最後に暴力とSEX描写があってなんだか安心してしまう。芝居って劇団ごとのお約束にならされてしまうのよね。


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